昭和49年06月20日 朝の御理解
御理解 第68節
「神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓をあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め。」
「信心には辛抱する事が一番大切でございます。」三代金光様のお言葉。その一番大切なところを先ず身に付ける事、そこからねそこから必ず次の良い信心が開けてくる。辛抱しぬかせて頂いて、別に理屈が分かるとか詳しい事が、まぁいうなら教学的な事が分かるとかそういう事ではない。信心辛抱させて頂いておる内にです、もう本当に信心が分かる。いうなら神様が分かる。より神様が信じられるようになる。その信心こそ身に徳を受ける修行じゃというのは、私はそういう事だと思う。
一番大切な辛抱をさせて頂いておる内にです、神様がより神様が信じられるようになる。そこから自ずと神様からまた信じられる様な、神様が信じて下さる様なおかげを頂く事が出来る。それが信心だと思う。いわゆる「人にものをいう通りに拝め」と仰る所などはね、ひとつも難しい事ではないという事です。69節に「信心はみやすいものである」とこう仰っておられます。
信心がねあのうみやすいという事は神様が分かる、神様を信ずる事が出来る様になる。それは信心辛抱から自ずと生まれて来る。もう理屈じゃない。そこから初めて「信心はみやすいもの」という事になって来ると思う。とにかくねもう一番私は素晴らしい事は、ここはお互い難儀を感じる、様々なまた困った問題とか難儀な問題をとか、まぁ痛い痒いの事に至るまでいろいろな事があります。
だから神様に願わにゃおられんから願いよります。信心辛抱させて頂いておりますとね、願わなければおられないというか、願っておった事がね、本当に心からお礼が言えれる様になる。これはもうここに理屈ではないです。そういう信心を身に付けていくとね、もう今日思っておった様な問題がです難儀ではない。それは本当におかげである。本当にお願いばっかりしよったら、お礼を申し上げる事であったと気付かせてもらう。それは願うとかね頼むとかという様な難しいやはり感じがしますね。
けれどもあのう願いよった事がお礼を申し上げるという事になると、信心はみやすうなる。はぁお願いしますどうぞお願いしますというのは難しいでしょうが。ただ人間の場合であっても。聞いて下さるか聞いて下さらんか分からん。けれども同じ問題であってもです、それをね本当に有り難うございますというて、お礼を申し上げるなら楽でしょ。そういう信心をこれは理屈をいうと。
まぁ様々な理屈がありましょうけれども、「神参りをするのに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならん」といった様なところを身に付けて参りますとね。信心辛抱させて頂いておる内に、もういつの間にかそういう事になっておる。難しい事をいうたり覚えたりする事じゃない信心は。もちろん信心は先ず拝む事から始まって、拝ませて頂いて、そこから改まらせてもらうて、本心の玉を磨くという様なまぁ順序を辿る訳ですけれども、それも楽しゅう出来てくる。神様が段々分かってくる。
神様が段々頂けてくる。そして難しい事いわんでも、人にものをいう通りに拝ませて頂く。そのものをいう通りに拝ませて頂くという事の初めの間は、まぁくどくどとあれもお願いしますこれもお願い致しますというて、まぁお願いをする間はけれども、お願いをするというか。お願いをしなければおられない様な、問題を持っておるという事はね難しい。けれども段々それがその事はひとつも変わらなくても、その事に対してお礼を申し上げるようになると、非常にみやすうなる。
人にものをいう通りに拝めというとこなんかは。やはりあの信心はみやすうしようという様な事だと思うんです。難しい事はいらんという事。だからどうでも信心辛抱です。信心で辛抱するという事は一番大切な事です。辛抱していくと行く内に願っておった事が、また難儀と思っておった事が。心から有り難い事であるという事が分かり、心からお礼を申し上げねばならなかったという事に気付かせて頂くと、いうような信心を身に付けていきたいですね。
どうぞ。